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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)10697号 判決

原告 黒田鉄子

被告 国

主文

一  被告は原告に対し金二六万六、五六六円および内金一八万九、九一〇円に対する昭和四四年一〇月一七日から右返済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

(当時者双方の申立)

原告は、「被告は原告に対し金八七万九、九一〇円および内金七五万四、九一〇円に対する昭和四四年一〇月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

(請求原因)

一  訴外茂見義勝は東京法務局所属の公証人である。

二  公証人茂見義勝は、昭和四一年一二月二日、債権者を訴外日本金銭登録機株式会社(以下「訴外会社」という)債務者を訴外佐藤忠男、連帯保証人を訴外大迫税および原告とする販売代理店契約並びに金銭消費貸借契約公正証書を作成し、昭和四二年一月二五日、訴外会社の請求により、前記連帯保証人である訴外大迫税および原告に対する執行文を付与した。

三  訴外会社は前項の執行力ある公正証書正本に基き、原告を債務者として、昭和四二年二月ごろ、東京地方裁判所八王子支部に対し、原告所有の東京都北多摩郡小平町大字小川字中宿北側二三八四番の八、宅地一四三・八三平方メートル(四三・五一坪)に対する不動産強制競売の申立をなし、右裁判所は昭和四二年二月二五日、訴外会社のために右不動産に対する強制競売開始の決定をなし、同年六月七日、右の競売期日を同年七月三日午前一一時と指定した。

四  ところで、原告は、本件公正証書作成に関し、佐藤忠男の連帯保証人になつたこともなく、ましてや公正証書作成に必要な印鑑証明書や委任状を何人にも交付したことがなかつたので、昭和四二年六月二〇日、弁護士千葉保男を訴訟代理人として前記裁判所に前記不動産に対する強制執行停止決定の申立および請求異議の訴を提起した。そして、同年六月二二日、右の強制執行停止決定を得、さらに昭和四三年一二月三日には右の請求異議事件において訴外会社は原告の請求を認諾した。

五  公証人が公正証書作成ならびに執行文を付与する場合において、公証人がその嘱託人を知らず、またはこれと面識なきときは官公署の作成した印鑑証明書その他これに準ずべき確実な方法によりその人違のないことを証明させる義務がある。

しかるに、公証人茂見義勝は本件公正証書作成にさいして、原告に印鑑証明書の提出を求めず、かつ、人違でないかどうかも調査せず、慢然訴外会社の嘱託に応じてこれを作成し、かつ執行文を付与した。

六  原告は、公証人茂見義勝が右の経緯で本件公正証書を作成し、かつ、これに執行文を付与したことにより、つぎのとおり合計金八七万九、九一〇円の損害を蒙つた。

(一)  財産上の損害

1 本件強制競売停止決定の申立ならびに請求異議の訴を提起するにつき弁護士千葉保男にその着手金として支払つた金員および弁護士報酬の合計 金一〇万円

2 裁判所、弁護士事務所、登記所その他金策のために要した交通費 金四万九、五〇〇円

3 通話料 金一万五、〇〇〇円

4 代理人依頼日当 金一万五、〇〇円

5 休業補償 金一万円

6 本件のために借用した金一八万円の利息 金六万五、〇〇〇円

7 雑費 金四一〇円

以上合計金二五万四、九一〇円

(二)  精神上の損害 金五〇万円

原告は本件不動産上の建物に昭和三八年一二月ごろから、その夫の大迫税および長男悦男(一〇歳)とともに居住してきたが、大迫税はたびたび事業に失敗し、加えて身もち等も悪かつたので、家庭生活も満足なものではなく、原告と大迫税とは昭和三九年八月ごろから別居するに至つた。そして、原告は長男悦男を養育し、その生活費にことかく状態にあつたが、その間大迫税は一銭の生活費も入れなかつた。

このような状態にあつた時、突然本件不動産に前記競売の申立がなされたので、原告はそのショックで従前の肺結核がさらに重あつとなつた。また、本件不動産が競売されれば原告および長男悦男が路頭に迷うことになるのは必定であつたから原告は親類縁者等を頼つて金策し、弁護士費用、保証供託金等を調達して、ようやく本件競売を免れたものである。

原告は本件競売申立がなされた結果、大迫税との関係もますます悪化し、ついに昭和四二年七月二一日、正式に協議離婚して現在に至つているが、右の一連の出来事によつて原告の味つた精神上の苦痛は、あえて金銭的に評価するならば、金五〇万円を下るものではない。

(三)  原告は本件訴訟を起すために、昭和四四年八月一〇日、弁護士千葉保男に訴訟委任をなし着手金五万円、報酬を本訴認容額の一割と約束したので、同弁護士に支払うべき金額は金一二〇万五、〇〇〇円である。

七  法務大臣は公証人を任免監督する地位にあり、公証人茂見義勝がその公権力の行使にさいし、その過失により原告に右のような損害を与えたものであるから、被告は国家賠償法第一条に基きこれを賠償する義務がある。

八  よつて、原告は被告に対し、金八七万九、九一〇円および内金七五万四、九一〇円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四四年一〇月一七日から右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する答弁)

一  請求原因第一、二項の事実および同第五項のうち公証人は公正証書作成ならびに執行文付与等の場合にその人違いでないことを証明させる義務のあることおよび同第六項(三)の事実中原告が本件訴を提起したことは認めるが、同第五項のその余の事実は否認し、その余の請求原因事項は知らない。

二  公証人茂見義勝は、昭和四一年一二月二日、かねて面識ある松原功典が公証役場に出頭し、原告名義の公正証書作成のための委任状および原告が連帯保証人となつている訴外会社との間の販売代理店並びに金銭消費貸借契約書を提出して公正証書作成の嘱託をなしたので、本件公正証書を作成したものである。

ところで、右委任状および契約書の名義は、当時の原告の夫大迫税が記載したものであり、また、大迫税は右契約書作成に当つては、訴外会社に対し、原告の資力を証明するため原告所有の本件不動産の登記簿謄本を提出しているのである。

かかる事情のもとでは、果して本件公正証書が原告不知の間に作成されたか否か、きわめて疑わしく、また、かりに原告不知の間に作成されたとしても、これらの書類を審査した上本件公正証書を作成した公証人茂見義勝には過失はない。

(証拠)〈省略〉

理由

一  訴外茂見義勝が東京法務局所属の公証人であること、同人が原告主張の公正証書を作成し、これに執行文を付与したことについては当事者間に争いがない。

二  ところで、甲第六号証によれば、本件公正証書は債権者である訴外会社は弁護士長塚安幸を代理人とし、債務者である佐藤忠男、連帯保証人である大迫税および原告はいずれも松原功典を代理人として、それぞれ右各代理人に公正証書作成の権限を委任したものとして、これら当事者の嘱託により公証人茂見義勝が作成したものであることは明らかであるが、本件全証拠によるも、原告が佐藤忠男の連帯保証人となることを約したことおよび右公正証書に表示された債務の強制執行を認諾するにつき松原功典に代理権を授与したことを認めることができず、むしろ、成立に争いのない甲第五号証によれば、右公正証書作成のための原告名義の委任状は、原告と別居中であつた原告の当時の夫である大迫税が原告の氏名を冒書したものであることが認められ右認定に反する証拠はない。

三  そこで、公証人茂見義勝が右のような公正証書を作成するにつき過失があつたか否かについて判断する。

公証人法第二八条、第三一条、第三二条によれば、公証人は、公正証書を作成するについて嘱託人と面識がない場合には印鑑証明書の提出その他これに準ずべき確実な方法により人違いでないことを、代理人によつて嘱託された場合には、代理人の権限を証すべき書面のほか代理人についても同様の方法によつて人違いでないことを、また代理人と面識あるときでも、代理人の権限を証すべき書面が私署証書であるときはその証書のほか本人の印鑑証明書を提出させる等の方法で右証書の真正なことを確認すべき義務あることは明らかである。

本件は代理嘱託の場合であるが、甲第六号証と弁論の全趣旨によれば、公証人茂見義勝は公正証書作成につき原告の印鑑証明書を徴していないことが認められ、他にこれに準ずる確実な方法で代理人松原功典に対する授受が原告の真意に基くものであるか否かを確認したこと(被告主張の事実がこれにあたらないことは言を俟たないところである)を認定できる証拠はない。したがつて、公証人茂見義勝が前記公正証書を作成するについて公証人法に違反する過失があつたことは明らかであり、右公証人法第一一条、第七四条によれば法務大臣は公証人を任免監督する地位にあるのであるから被告はこのために生じた原告の損害を賠償する義務がある。

四(一)  そして、いずれも成立に争いのない甲第一、二号証、証人広田恵三の証言、原告本人尋問の結果によれば、訴外会社は昭和四二年二月ころ、右公正証書の執行力ある正本に基き、原告を債務者として、当庁八王子支部に、原告所有の東京都小平市大字小川字中宿北側二三八四番八宅地一四三・八三平方メートル(四三坪五合一勺)に対する不動産競売の申立をなし、同裁判所は同月二五日、訴外会社のため右不動産につき強制執行開始決定をなし、同年六月七日に右の競売期日を同年七月三日午前一一時と指定したこと、これに対して、原告は同裁判所に訴外会社を被告として請求異議の訴(同庁昭和四二年(ワ)第四三八号)を提起し、かつ、右強制執行停止決定の申立をなし、右訴外会社が昭和四三年一二月三日の口頭弁論期日に原告の請求を認諾したので、これに伴つて昭和四四年一月一六日に右競売開始決定が取消されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したと認められる甲第四号証によれば、

1  弁護士千葉保男に着手金および報酬として合計金一〇万円

2  訴訟準備のため登記簿謄本の交付を受けた手数料として金四一〇円

3  裁判所、弁護士事務所への交通費および大阪に居住する原告の実兄から強制執行停止のための保証金、前記弁護士費用等を調達するための交通費として合計金四万九、五〇〇円

4  右3に関連する電話料金一万五、〇〇〇円

5  前記訴訟の準備および遂行に関する諸雑務のために吉弘靖男を依頼したことにより同人に支払つた謝礼金一万五、〇〇〇円

6  原告は当時洋裁をして一日約一、〇〇〇円の収入があつたが、前記訴訟およびその準備等のための収入減金一万円

以上合計金一八万九、九一〇円を原告は前記の強制執行停止の申立および請求異議訴訟のために支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかし、原告が実兄から借用した金員に金六万五、〇〇〇円の利息を支払わなければならないとの原告本人尋問の結果はにわかに信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  原告は本件につき精神的損害があつたとして慰謝料を請求しているが、一般に財産権を侵害する不法行為の場合には、相手方に精神上の打撃を加えることを目的としてことさらに当該不法行為がなされたとか、その物が被害者にとつて特別な価値を有する特殊の物であるとか、あるいは、当該不法行為によつて被害者の名誉、社会的信用が著しく傷つけられたといつた特別の事情がないかぎり、被害者が財産上の損害を完全に回復し得た場合には、加害者に慰謝料の支払を命じてまでも被害者の側に回復させなければならない程の精神上の損害ないし苦痛はすでに除去されたものと解するのが相当であるところ、本件においては前記のとおり原告所有の不動産につき強制競売開始決定がなされたが、これが当該不動産の登記簿に記入されたにとどまり、他に右に述べたような特別の事情があるとは認められないので、原告の右慰謝料請求は理由がない。

(四)  原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告は昭和四四年八月一〇日ごろ、本件訴訟を弁護士千葉保男に委任し、着手金五万円、報酬を本訴認容額の一割と約束したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そうすると、右報酬額は金二万六、六五六円ということになる。

五  原告が公証人茂見義勝の前記行為による損害の発生を避けるため支出した費用は以上のとおりであるが、右金額は前記不動産の競売を阻止するために生じた相当の損害であると解せられる。

したがつて、被告は原告に対して金二六万六、五六六円および内金一八万九、九一〇円に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四四年一〇月一七日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるので、原告の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余の部分は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、なお、仮執行の宣言の申立については相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎 定塚孝司 水沼宏)

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